知床半島では過去にも海難事故が起きていた。

2022年4月23日に発生した知床沖観光船事故からもうすぐ、1年が経ちます。

我々、知床半島捜索隊は昨年、知床半島を6回にわたり捜索活動のボランティアをしていました。

今後、活動をしていくわけですが、どうして活動を続けるのかというと二度と悲しい事故が起きてほしくないから。

実は、知床半島では過去にも大きな海難事故が発生していました。

その名は「4・6突風」

4・6は4月6日を意味しています。

発生したのは1959年(昭和34年)の出来事。

知床周辺で4~5月にかけて突然吹き付ける風を「だし風」とよばれているらしく、この事故はだし風が原因だったといわれています。

当日、道東の沿海沿いは低気圧を含む深い気圧の谷の中で、数日前から南から北上してきた低気圧によりこの風が発生したとの記録が残っています。羅臼町の当時の天候の記録によると風速は一時的に45㎞/時に達し、さらに雪も降りつけたという。


これによりスケソウ刺網漁船が、わずか3~4キロの海岸にたどり着くのもままならず次々と遭難、15隻が沈没・転覆し、死者・行方不明あわせて85名に達した。

また、陸上では建物が100棟近くが損壊したとされています。

ほかにも、道路、電線網の破綻により通行止めや停電に陥った地域もあったとされています。


当時、知床半島は街のすぐそばにしか、港がなく、海があれると避難できる場所がありませんでした。

そこで、知床半島、斜里側に設けられたのが文吉湾に緊急避難港が作られました。

このように、昔から数回にわたり、知床半島周囲では4~5月に突然天候が荒れだす「だし風」により海難事故が発生しやすい地位でありました。

地域のかたたちは観光を優先し、知床の環境は美しい反面、荒れだすと危険な環境になる2面性があることを伝えてきませんでした。

そして2022年4月に知床半島で再び、大きな痛ましい海難事故が発生してしまいました。

これからを生きる我々ができることは、再び悲しい事故を発生させないように、この事故を風化させないことです。

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